2014年08月21日
金石茂和「学校教育の弱点」
学校における教育の弱点がある。
そもそも教育(人間形成)は一方で価値の問題をさけて通ることができない。
それというのも、教育は人間の生き方の問題を度外視できないが、価値とはまさしくこの「生き方」にかかわる問題だからである。
そして価値を知的・合理的に処理することができない理由もここにある。
価値はそれを素朴な確信をもって信じ、それを現実に〈生きる〉ことによってのみ、つまり信念や信条として人間の心情・態度のうちに根っこをおろすことによってのみ、所有されうるからである。
そしてそれをするためには、子どもに特定の価値に沿った生き方を有無を言わせずに教え込むことが必要になる。
いわば教条的な仕方でインドクトリネーション(教え込み)することによってしか、価値は確信として人間のうちに根づくことができないのである。
いうまでもなく、これは合理性を旨とする学校の教育のあり方とは根本的に相容れないものである。
それに、種々の宗教や階層、職業、文化伝統や習俗を背景にして生まれ育ってきた子どもたちに特定の生き方を教条的に教え込むことは、そもそも学校にはできない相談である。
価値を教えることができるのは、子どもと生き方を共有しながら自然な形でそれを心情に押印しうる親であり家庭である。
そして道徳的な価値についても事情は同じである。
金石茂和・教育アドバイザー
そもそも教育(人間形成)は一方で価値の問題をさけて通ることができない。
それというのも、教育は人間の生き方の問題を度外視できないが、価値とはまさしくこの「生き方」にかかわる問題だからである。
そして価値を知的・合理的に処理することができない理由もここにある。
価値はそれを素朴な確信をもって信じ、それを現実に〈生きる〉ことによってのみ、つまり信念や信条として人間の心情・態度のうちに根っこをおろすことによってのみ、所有されうるからである。
そしてそれをするためには、子どもに特定の価値に沿った生き方を有無を言わせずに教え込むことが必要になる。
いわば教条的な仕方でインドクトリネーション(教え込み)することによってしか、価値は確信として人間のうちに根づくことができないのである。
いうまでもなく、これは合理性を旨とする学校の教育のあり方とは根本的に相容れないものである。
それに、種々の宗教や階層、職業、文化伝統や習俗を背景にして生まれ育ってきた子どもたちに特定の生き方を教条的に教え込むことは、そもそも学校にはできない相談である。
価値を教えることができるのは、子どもと生き方を共有しながら自然な形でそれを心情に押印しうる親であり家庭である。
そして道徳的な価値についても事情は同じである。
金石茂和・教育アドバイザー
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